生物の生きる空間。
こないだ 、新たにカニとオヤニラミをいう魚を共生させようとしたら、喧嘩をしてしまった。
オヤニラミやられてしまった。
1年間飼っていたので、愛着があった。かわいそうなことをしてしまったと思っている。
その生物が住む、 環境とは様々で、刺激がある自然と、刺激の少ない水槽。
水槽の中では敵がいるか、いないか、仲間がいるか、いないか、一人なのか。
色んな要因により成長の仕方は異なってくる。
人であれば、住んでいる場所が どこなのかで生活様式が異なる。
山奥に住むか、都会に住むのか、都会と田舎がミックスされたような所に住むのか。
それが自己表現になり得る可能性もある。
住む場所にこだわりなく 、仕事場から近ければ良いのか、 駅から近いとか、その人の価値観みたいなもので決定されていく。
コロナの影響で、リモートワークが主流になりオンラインでの 交流に違和感がなくなった 。
そうなると、わざわざ満員電車に乗って会社に行かずとも、仕事ができる人も増えてくる 。
住む場所にこだわりを持つ人がたくさん増えそうだ。
私はついこないだまで、 異常なまでに「転職や移住」に関して興味を持ち、行動をしていた。
そんな経験を経て、身近にあるもので満足できるのでは?という考えに至った。
畑の環境を整備したり、近所のお年寄りの方の話をする中で、いま自分が住んでいる土地の良さを再確認することができた。
これにより移住をする必要がないほど、恵まれた環境に自分が今いることに気付いた。
また、職を変えるまでもない、恵まれた待遇であることを思い知らされた 。
どうしてもネットの情報に惑わされて、自分を取り乱す傾向にある。
そんなことにならないように、メディアから離れて、いま自分がいる環境や、土地で、できることに集中する。
そうすれば、何の迷いもなく生活ができる気がする 。
なすびさんが、懸賞生活で誰とも話さずに、 一年三ヶ月、はがきを書いて懸賞生活を送った。
それは昔の死刑よりも重い、密室で単純作業を行う。そのことと、重ね合わせていたのをふいに思い出した。
もう二度とやりたくないと語る。
井の中の蛙は、その世界が全てであると 思っている。
だから、満足できるが、外の世界を見てしまうと満足できなくなってしまう。
だが、外の世界や、外の人間と交流してから自分の家や土地で、井の中の蛙状態になる。
それは自分が選択できたことになる。
それで満足できるぐらい、欲をコントロールし、「無」の状態に近づけたという進歩とも捉えたい。
それで、飽きてしまったら、また新たなテリトリーを模索すれば良い。
新たな生活スタイルを再構築させていく、過程におもしろみがあるのかもしれない。