超相対性理論
受け入れる者、受け入れない者。
ある集団に混じり活動した。
活動前は『誰でも参加していい』という噂を聞いていたが、
活動後に、『よそ者は困る』的なことを伝えられた。
楽しそうな雰囲気を発信しているので、それに人が集まるのは自然である。
『俺たちは楽しいぞ!』ということをアピールすることで、マウントをとる。
集団の力は恐ろしい。
その輪に入ろうとした若輩者は排除される。
このことをきっかけに、色んな場所に顔を出していた金井は、行動を控えて単独行動をすることが増えていった。
またある時に、異なる集団で活動した。
完全にアウェイな状況下で、自分の願いを伝えてから参加した。
そんな集団は、わがままな要望に応えようと、願いをを叶えてくれた。
おまけに、『人混み嫌いなのに来てくれてありがとう✨』なんて言葉を残した。
人混みが嫌いなのは個人の責任であり、子どもではなく、こんなわがままな人間のことを思ってくれる。
そんな言葉に触れて、感動した。
自分たちの存在をアピールすることに躍起になった集団は、かわいそうだ。
一方、人を思い、一人一人の参加者を優先する集団は、カッコいい。
我が家は、最近人がよく遊びに来るらしい。
ボルダリングとうんていができるから、らしい。
その噂は広まり、今後も人気は続くだろう。
完全に私が作ったもので人が集まっているので、嬉しい。
だが、その恩恵を受けることはない。
最近の悩みは『友達がいないこと。』
家族をもつとそうなるのか?
そうではない。
妻は友達が無限にいる。
そもそも、私が友達と遊ぶ時間はない。
太陽が出てる時間の単独行動は制限されている。
夜中~夜明けまでは🆗→この時間に遊ぶことは山以外、お金がかかる。
(お小遣いは、月に2万円)
(月に2回のレースは⭕️→レースは集団である。)
そんな行動制限の中で、友達を作ることはできない。
なかなか闇が深く。
本当に困っている。
困っている状況を楽しんでいるのだから、もうどうしようもない。
移動、労働、食事、睡眠。
この4つを繰り返している♻️
それで満たされれば良いが、そんな達観した状態には到達していない。
久しぶりに、気の抜けた時間を過ごしたので、この発想が出てきた。
たまには、振り返らないとロボットになる。