竹島に行って気づいた5つのこと。揺れて揺れて自分のポジションを見つけることは大切である。
そんな中で、事件は起きた…
そう。硫黄島には波の問題で、行くことができなくなってしまった。
それだからこそ、学びもたくさんあった。
そこで、今回は竹島に行って気づいた5つのことを書きます。
①移住してから、補助金に頼った生活をしていると、将来がない。
3年間の補助金が出る間に自立できるようにしなければならない。
最初は補助金に頼っていても、補助でなく自立して食べていけるような、仕事の仕方を身につけてかなければならない。
そんな中、『牛飼い』になる。ということが最良の手であることを提案された。
牛の相場が現在高いらしい。
下がる可能性もある。
私は牛飼いがしたいのだろうか…
甘く見ていた。
地方に住みたいという目標を達成するためには…
竹島の場合は牛飼いをすることが、潰れずにすむ確率が高い方法であるということ。
島で安定して生きるためには→牛飼いをする。
それに補足して、ガイドとかの仕事ができたらいいのかな。
新たに仕事を開拓するという手もあり、魅力のある要素がたくさんあるということ…
そんな生活をするためには、師匠みたいな人が必要なんだろうな。
②青年会、地区会の仕事がそれなりにある。
人との関わり、文化財の清掃、草刈り…
やらなきゃいけないことがたくさんある現実を目の当たりにして…
自分がことごとくわがままな人間であり、『人のために、地域のために』生きる覚悟がまだできていないことが発覚した。
本当に地方の方はすごい。
③居心地の良さを求める。
今の都会での生活に満足し、麻痺してしまったら、一生移住せずに、終わる。
より自分の理想の生活を思い浮かべて、それを実現しようとするエネルギーがなければ、このままだろう。
今の生活が経済的に豊かなことは確かで、『それではない何かを』豊かにしようとしている。
言うなれば、自然体でいても、自分が過ごしやすい。居心地の良い所で生きれたらな。
貪欲にそれを求める思いを持ち続けることで、考え、行動するのかな。
その価値観を家族にも浸透させていく必要があり、自分自身がぶれることなく考えを持ち続けなければならない。
納得してもらえるような信頼.安心を獲得する工夫。計画をしていかなければならない。
もしくは山を走るが如く、一人で突っ走る笑笑
④自然と共存する。
島の人は海の波の情報を常に観察して、島から出るタイミングを見計らう。
船が出なけりゃ諦める。
私の生活で、自然によって諦める。
そんなことは稀である。
ゆとりのない世界で生きていた者として、今回の状況は違和感があり、良い経験であった。
島に住んでいたら、そんなことが頻繁にあるんだろうな。
それと折り合いをつけていくことで、大らかな人間性が形成されていくのかとも想像してしまった。
⑤人間関係が濃い。
東京の薄さがちょうどいい。とも思ってしまった自分がいた。
村を歩けば一日に何度となく同じ人と出会う。
これは『慣れ』であり、大学の頃に限界集落に出入りしていた時の感覚を思い返すと、そういうものであった気がした。
〜おまけ〜自分は何がしたいのか⁈
たくさんありすぎて訳がわかんなくなっているのか!?
なんの考えもなしに、新たなことを始めようとも、失敗する。人生計画が大事なことは理解している。
〜まとめ〜
私の現状はエスカレーターの世界。どうすることもできずに、一つの『安定』とう目的地に向かって進み続ける状況の中で、気持ちが裏腹なまま、もがいていくのだろうか。
一人の人生ではない家族がいる。
そんな中で、安定しているのは教員なのだろう。
『生活の自由』という面では、与えられた環境の中で、自由に自分のしたいことができている。(毎年変化するが…)
外の世界を見ないと見えてこない考えであった。
今回のように、揺れて揺れて自分のポジションを見つけることは大切である。
揺れなけれ、仮想現実が作られて→その仮想したものを思い続け→現実に満足できなくなる。
そんな状況から抜け出せたことは大きな収穫でありながら、寂しい気持ちもある。←めんどくさい人間。
まだ諦めたわけではない。唯一の教員という社会人経験を活かして、地方に行く。とか…
自分が簡単に『移住したい』という浅はかな考えをしていんだ。
そう現実の世界を観て思えたことは大きな一歩であった。