最近気になる3つの事‼️ ①相談者の心理。②人に対する期待値。③正義感という名の暴力。について考える。
人はなぜ話すのか?→考えていることがいっぱいある。
カフェに行って本を読もうと思ったら、おばさまがたの会話が気になり集中できなくなった。
※勉強してると思ったら上を向いて寝ていた。→勉強しろ!だそうです。
※夫が暖房を使って、半袖.半ズボンでいる。→厚着しろ!だそうです。
話の内容をまとめると、『子どもたちや夫が自分の思い通りに行動しないことに対する憤りをぶつけ合う会』そんなことに徹していた気がした。
①
よく相談したがる人がいる。
人は実際のコストを払わずに済むと、無駄遣いしがちだ。
人に相談することは無料だ。
だが、相談に乗ってくれる人と、そうでないとひとがいる。
相談に乗りたくない人は、その人に対して拒絶する。
相談に乗ってしまう人は、その人の優しさで、何度も受け入れる。→人間関係が絡んでくることは重々承知である…
その優しさに漬け込む相談者……
『人の時間を使う。』その感覚が欠如しているのだろうか?
とりあえず自分が気持ちよくなることが最優先事項なのだろう。
逆に、相談に乗らざる終えない状況へともっていく相談者のマインドコントロール能力を尊敬する。周りにどう思われてもいいという鈍感力なのか!?
友人同士や家族であれば話は別だが、、、
②
相談者は他人に対する悩みを発散する。『あの人があーしてくれない‼️』みたいな期待値の話を延々と…
やはり、人に対する『期待値』というものは人それぞれ異なる。
期待値が大きかったり、期待する事柄が多岐にわたると自身が生きづらくなり、不満をもつ頻度が増える。
期待値が小さく、期待する事柄が少なければ、自身が生きやすく、不満をもつ頻度が減る。
横道にそれるが、自殺者は過酷な環境で生活する人よりも裕福な環境で生活する人の方が多い。
自分の不幸の要因をなすりつける外的要因が何もないときこそ、自殺する確率が高まるらしい。→言い変えれば、心を病んでいく…
外的要因になすりつけることで、心を安定させていく。心を癒していく。
生活の中での弱者は影でも(昼下がりのカフェ)、対面でも、その的になりがちである。
社会に出て8年経つが、最初の頃が圧倒的弱者であった。
社会的に地位を確立したモノは、その安定が約束された地位の名の下に欲求を発散していく。
若手に対して己の価値観を押し付け、期待にそぐわなければ排除する。
③
『正義感』の名の下に、罪悪感のない言葉の暴力を浴びせ、1人の若者のメンタルをズタズタにしていった。
そんな社会の現実に直面することで、学ぶことも多く、価値観はグルングル変化するようになり、楽観的な考えは日に日に増していった。
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プラスでしかない‼️‼️‼️‼️
人間の不平不満というものは、自身が納得できないこと、理不尽みたいなものから発生する。
その言葉を言うと気持ちが良く『快』になる。
それを聞いた人は『不快』になる。←まさにこの文章を読んでくれている人には不快感を与えてしまっている可能性がある。
申し訳ありません。
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けど、私のそんな生々しい『内なる感情』が気になっている人しかこのブログを読んでいる人はいない現実。笑笑
不快のレベルも他人が言われているにしろ、自分が言われているにしろ、程度の差はあれ、不快だ。
そんなことを言っているが、社会で生きていく以上、汚い言葉を避けては通れない。
どう感じ、どう考え、どう捉えるか?
右から左へ受け流しても良い。←95%
真摯に受け止めても良い。←3%
その言葉から考えを深め、自分なりの解釈をしても良い。←2%
他愛のない主婦の会話からこんな文が展開されていったことに喜びを感じる。