己をつらぬく。遠くの方で縮こまっている犬にはなりたくない。
この土日に企画していたイベントは諸事情によりなくなってしまった。
なんか「ほっとしている」自分がいる。
畑の活動も来ていただけるなら、喜んで開催する。
人が来なければ、自分の好きなことをしている。
それは周りから求められれば、やろうと思うが、本心はどうなのかという問題になる。
求められるという現象は嬉しいことでもあり、その期待に応えたい。
というよりも、「求められていると仮想」することで新たなる自分が見つかる。
人は皆、自分勝手な理由を作り上げることで、安心し満足する。
ランイベントは、早い判断により、嵐の開催を免れた。
そんな選択により、それぞれが有意義な時間を、過ごせると思っている。
主催する側として、判断を遅らせることで、粘るという選択肢もある。
それによって、参加者は「やるのか!?」「やらないのか!? 」と悩む時間が増える 。
「なし」という判断が決まれば 、次の新たなる場所へ行くことができる。
去り際や、止め際のタイミングみたいものは大事である。
ここでの「こだわり」を見せることで、問題が発生する機会に幾度となく遭遇してきた。
そのタイミングをすぐに出さないことで、問題を 先送りにする。
同じ状態や、同じ環境に身を置くこと は、エネルギーを使わずに済む 。
破壊と再生を繰り返すことで、新たなものができていく。
私のランニングイベントも 、今後やらないかもしれない。
だが 、この「トライ&エラー」の繰り返しで、 新たなる発想、より良いものが出てくると思っている。