ピーク【限界】は人にわかるのか?
何かに夢中になる。
写経、絵を描く、庭の草むしり、花壇を整える、花に水をあげる、畑を耕す、草を刈る、焚き火をする、本を読む、動画を編集する、掃除する、肉を焼く、食べる、寝る、走る、泳ぐ、回す。
私の日常は以上の事柄で埋められる。
ぼーっとすることもあるが、何かをしていると落ち着く。
何も考えていないようで、頭の中では色々と回想している。
手や足を動かしていると思いがけない考えが思いつき、それを実行できるように計画をたてる。
この夏は、非常に精神的にリラックスしているようだ。
お陰で、車で単独事故を起こした。
そんなハプニングが起こると、平和な日常では考えない着想がわき出る。
来週は群馬の嬬恋村でレースがある。今年は4月と6月にも行ってるので、3回目になる。
レースにピークを合わせる、『ピーキング』というものがある。
私はそのピークがレースに合っている状態というものが、いまいち理解できない。
例えば、毎年同じレースに出ていて、毎年タイムが上がっていたらピーキングに成功したと言えるのか?
タイムが下がってしまったら、ピーキングに失敗したと言うのか?
練習で出せないようなタイムが、レースで出ることは必然である。
緊張状態や周りの選手だったり、競争している環境が整う。
練習は、過去のタイムと自分自身と戦う。
体調やメンタルが万全でも、結果がでないときもあれば。
体調やメンタルが万全じゃなくても、結果が出るときもある。
結局、ピーキングに成功したかどうかを決めるのは自分であり、誰かに評価してもらうわけではない。
ピーク【限界】は人にわかるのか?
自分で調製して、戦って、評価して、反省する。
自己満足、自己実現の世界だ。
周りに気をとめていたり、比較していたら長く続かない。
自分で作った目標や信念のもと、日々生活を送る。
自制心みたいなものがなければ、楽な方に流される。
顔や体型を見れば、悟られる。
恐ろしい世の中だ。