スマホの存在により、「自ら遊びを作り出す」という概念はなくなりつつある。
スマホ、タブレットの存在により、「自ら遊びを作り出す」という概念はなくなりつつあるのかもしれない。
アプリ、ゲーム、ギャンブル、漫画、sns…
これに時間を費やす人がほとんどだ。
これは全て、「与えられたものや与えらた世界の中で楽しむ」
という、子どもの頃からの習慣が故に、そうならざる終えない人間の末路なのか!?
一方私は、アプリ、ゲーム、ギャンブル、お酒にはまることができずにいる現状がある。
それは、運動によって自分のもっている能力が向上することに、最も喜びを感じる変態だからなのかもしれない。(ランニング、農業?)
例:先週のポイント練習よりも、1キロのラップタイムが2、3秒縮まっただけで、明日を生きる活力となる。
そんな遊びを自ら作り出して、日々をイキヌイテイル。
スマホの世界にハマる人と変態との差は何なのか?
学生時代は後者だった人が、大人になり、スマホ人間になっている。
子どもの頃は、ミニ四駆とビーダマンと遊戯王カードさえあれば一日中、友達と遊んでいた。(今も遊ぶ自信はあるが😅)
そんな人が、色んな経験により、刺激を追い求めて歩み続ければ、ネットの世界に没入していく。
心臓がばくばくして興奮するならば、できるだけ楽にその経験をしたいのが人間だろう。
おいしいお酒、おいしい食事と共に仲の良い友人と会食を行うシーンにて。
そんな場面でも、誰しもが携帯を肌身離さず携帯し、机の上に置いている。
そんな時間中も、気がつけば、スマホをいじり、食べた料理のことなど忘れている。
スマホなしでは生きれない身体になっているのかもしれない。