レースの意味。→メモの意味。
レースの意味。
レースのために、日々走る。
自分が勝手に設定した距離を何分何秒で走るか?
前の週よりも数秒縮まっていれば、己の成長を感じ、自己満足を得る。
そんな日々の中で、体重、疲労感の増減、モチベーションの上がり下がりがある。
そこをよりよい状態にもっていくことも楽しみの一つだ。
それだけに集中できればいいが、そうはいかない。
そこに、仕事やプライベートの要因が交わる。
おもしろいことに、仕事で頭を悩ませたり、精神的に我慢を強いられてる時ほどフィジカルパフォーマンスが上がり出したりする。
感情を揺さぶれるほど、「もっと動け!もっと動け!」そんな声が身体の内側から聞こえてくる。
それに従って動いた時のパフォーマンスたるや、オケラの如し!?
話を戻します。
私の職業は「感情労働」と呼ばれたりする時もある。
感情の起伏が激しい人々が周りに鎮座する環境であるからなのか。
その中で、いかに感情を一定に保ち、自分を失わずに生きるかが全てと言っても過言ではない。
気を許せば、そこを漬いてくる。
言葉、空気、行動、身のこなしの攻防が目まぐるしい。
誰かしらに、「人間性」というものを、透かして見られているような気配をいつも感じる。
だから、自身も表面だけを整えた「体裁」みたいなものを見るのではなく、その人自身の本質みたいなものを観察できるように5感を総動員している。
そんな中での最大の弱点は、人の話が右から左にながれていくことだ。
人間観察を趣味とする者として、致命的と言ってもヨイ、弱点。
様々な情報が入るなかで、動物的に身につけてしまったこの技術。
これをカバーすべく、身につけたメモをする。という初歩的な技。
「メモの魔力」という本もあるが、その本が出るよりも前からメモりまくっていた。
よくメモをすることで、「お前人の話聞いてんのか?」「話してるこっちが不安になるから、メモんな。」
そんな言葉を言われてもメモり続けた。
それをしなければ、記憶に留めることができず、周りに迷惑をかけてしまう。
人としての基本スペックを失ってしまった人間は、メモるしか生きる術がないのだ。
そんなことを続けていたら、最近メモを尊重する流れが、私の周りに流行りはじめた笑
この流れもすぐに、終わるだろうし、また新たな流れが生まれるのだろう。
ちなみに、自分をどう思っているかなどの、他人の「機微」みたいなものを察する能力が高まりすぎて困っている。
鈍感になることに徹しよう。